子猫が来た その1
この春から東京の大学院に進学する長男は、アパートが見つかったと早々と引っ越しを決めた。
取り残されたのは、82歳の義母と、団塊の世代の夫と、アラフィーのわたし・・
「これからは、老境3人組で頑張るよ。」娘に電話をすると、
「・・なんか、わびしいねえ、猫でも飼ったら」と言う。
わたしは子供の頃にずっと猫を飼っていたので、それも悪くないと思うが、
ネコアレルギーの夫は「オレはいやだね。」とにべもない。
年末も近くなった夕方、買い物から帰ると、いつもキッチンに立っている義母がソファに座りこんでいる。
具合でも悪いのかと近づくと、泣きそうな顔でわたしを見上げた。
「たいヘなことになっちゃったんだよ~」ひざの上でなんと子猫が眠っているのだ。
「どうしたの?」
「それがさあ、Sさんがいきなり連れてきちゃったんだよ。もう動けなくなちゃって1時間もこのまんま・・・」
Sさんは近所に住む義母の友人だが、親戚が野良猫の子を9匹も面倒を見ているという話を聞き
「一匹もらおうかな。」と何気なく言ったところ、すぐに連れてきたのだという。聞けばその猫たちは餌だけは食べにくるものの、普段はダンボールの中で集団生活をしていて警戒心が強いのだとか。その中に一匹だけひとなつっこい子猫がいてそれを連れてきたのだという。やがて子猫は薄目をあけてわたしを見た。白毛だが尻尾だけが縞々。頭の上に丸いぶちがあるのがご愛嬌だが、目やにをいっぱいためて鼻のあたりをぐしゅぐしゅさせている。抱き上げてみると酸っぱいような異臭が漂う。肛門の回りの毛に下痢便がついているのだ。
「おばあちゃん、この猫、病気みたいだよ。」
「あらそう、それでおとなしいのかね。」
わたしは子猫をタオルでくるんで、近くの動物病院へ向かった。
ドアを押すと、丸椅子が二つ並んだだけの待合室があり、戸の隙間から白い診察台が見えた。中から白衣を着た年配の女性が出てきた。事情を話すと子猫は診察台に乗せられ、肛門に体温計をつきたてらた。「ふぎゃん」と哀れな声が響いた。
「どうやら回虫がいますね。」先生はわたしに青いゴム手袋を渡すと、
「今から注射をしますからしっかり押さえてくださいね。」と言う。
猫は必死にもがきながら、ゴム手袋に爪を立てている。
「ハイ、おかあさん、しっかりおさえて!」
いきなり「おかあさん」と呼ばれてどきりとした。
注射が終わり抱き上げると子猫はまだ震えていた。飲み薬を渡されて説明を受ける。
生後3ヶ月くらいでメスだという。
「ねこちゃんの、誕生日を決めてあげましょうね。」
わたしの目を見ながら先生が言った。
「誕生日を決める。」という言葉が胸に沁みてきた。
「それでは、8月30日でお願いします。おばあちゃんの誕生日と同じで。」
先生は笑った。
「名前はあるの?」
「いえ・・まだ。」
「そうですか、それじゃ決まったらすぐ教えてくださいね。」
外に出ると薄暮の空が広がっていた。子猫は少し落ち着いたのか、わたしの腕に身を任せている。
6時過ぎに夫が帰宅。わたしが子猫を抱いているのを見ると、「おっ」という表情をみせたが、思ったほど嫌悪感のある表情ではなかった。その夜夫は忘年会だが、早めに切り上げるから迎えに来てほしいという。いつもならしぶしぶのわたしだが、今日は快諾。まあそれには理由が・・
そして2時間後、ほろ酔いで上機嫌の夫にさりげなく、
「ねこ砂とかもろもろを買わないといけないんだけど・・・」と告げる。
量販店のペットコーナーで、猫砂、トイレ、シート、キャットフード・・超スピードで買い物をしてレジに向かおうとした時、棚の上の真っ赤なキャットハウスが目に入った。中にはあたたかそうな白いクッションが敷いてある。それもカゴに入れる。支払いをさせられた夫は「タクシー代より高くついた。」とぼやいていた。
子猫の前に赤い家を置くと、一瞬怪訝な顔をしたがすぐに中に入って行った。あたたかさにほっとしたのか毛づくろいを始めている。わたしもようやくほっとした気分になりソファに腰を下ろす。いきなり抱っこして寝てもお互い気疲れるするだけだろうし、数日はここで添い寝をしようと思う。
明かりを消すと闇の中で、子猫が小さく鳴いた。
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